はじめに

Prologue

NPO法人MBFCができるまで

佐賀市柳町、長崎街道の面影を残す街並みに、ひときわ威厳を放つ赤レンガの建物がある。国登録有形文化財「旧古賀銀行」だ。明治から大正にかけ、九州五大銀行の一つとして栄華を極めたこの場所は、今や「大正ロマン」の情緒を伝える佐賀市の文化拠点となっている。

その館内にあるレストラン&カフェ「浪漫座」に置かれた一台のグランドピアノ。それは市民の皆様の温かい寄付によって届けられた、美しい木のぬくもりを湛えた逸品だ。このピアノを巡る物語から、現在の「NPO法人MBFC(Music and Book Fan Club with Children)」は産声を上げた。

「作曲家の卵」を育てた、マスターの無償の愛
伝統文化の守り手との出会いと「背骨」の形成

物語の始まりは2005年。当時、大学院生であり、作曲家の卵として活動していた弓削田健介(ゆげたけんすけ)は、毎週木曜日にこの浪漫座でピアノを弾かせてもらっていた。そのひたむきな演奏を見守っていたのが、マスターの角田章裕(すみだ・あきひろ)氏だ。

マスターの角田氏には、秘めたる理想があった。18世紀、巨匠バッハが若き演奏家を募り、ドイツのカフェから数々の才能を世に送り出した「カフェ・ツィンマーマン」の精神を、この佐賀に再現することだ。

マスターが温めてきたその構想に、駆け出しの弓削田とその仲間たちが加わり、毎月第三土曜日の定期演奏会『ツィンマーマンの夢コンサート』が始まった。土曜夜という稼ぎ時を、マスターはボランティアとして学生たちのために開放。出演者にはノルマを一切課さず、チケット収益の大部分を演奏者に渡すという、純粋な「若手育成」の場を提供し続けた。

浪漫座には、地元の文化を深く愛する「真の理解者」たちも集っていた。その一人が、有田焼の世界的な収集家として知られる柴田裕子氏だ。柴田氏は夫・明彦氏と共に1万点を超える有田磁器を体系的に収集し、九州陶磁文化館へ寄贈。「柴田夫妻コレクション(国登録有形文化財)」として日本の至宝を守り抜いた、文化の守護者である。

弓削田と柴田氏の出会いはホスピス病棟だった。最愛のご主人を看取られる日々の中、弓削田の奏でる音楽に、柴田氏はいつも目を細めて耳を傾けていた。その縁は浪漫座へと繋がり、学生たちのコンサートが始まれば、柴田氏はいつも応援に駆けつけ、伝統文化の尊さや表現者としての在り方を若者たちに伝えた。こうした「本物の文化人」との交流が、若き音楽家たちの背骨を形作っていった。

「演奏の場」の連鎖と、広がる支援の輪。
世界へ繋がった「最高の結実」、
そして突きつけられた「現実」

柴田氏のような応援者たちは、若者たちに新たな舞台も提供した。応援者の一人であった県立病院の関係者が、「他の若手演奏家たちも病棟に招きたい」と声を上げたことで、ホスピスでのボランティア演奏の輪はさらに広がった。

実績の乏しい学生たちにとって、自身の音楽を必要としてくれる場があることは、何よりの報酬だった。演奏家同士が紹介し合い、切磋琢磨する。「技術を披露する場」から、「誰かの心に寄り添い、人とつながる場」へ。ツィンマーマンの夢コンサートは、地域の大人たちのぬくもりに守られながら、佐賀の福祉や教育を支える「心のネットワーク」の起点となっていった。

2018年1月。プロの作曲家として活動していた弓削田の10周年の集大成として、ミュージカル『図書館で会いましょう』が浪漫座で上演された。このプロジェクトは、驚くべき成功を収める。

クラウドファンディングによる支援、弓削田が執筆した本やコラボレーションCDなどの収益。それらは海を越え、ついに南アフリカの子どもたちへ「移動図書館バス」を一台贈るという、奇跡のような結実をもたらした。佐賀の小さなカフェから始まったマスターの夢、そして仲間たちの夢が、確かに世界と繋がった瞬間だった。

しかし、この華々しい社会的成功の裏側で、弓削田は一人、厳しい現実に打ちのめされていた。

音響や照明スタッフといった舞台を支えるプロの技術者に、妥協せず適正な報酬を支払い続けた結果、公演制作単体としての収支は、「赤字」となっていたのである。

「良い舞台を作ろうとすればするほど、活動が継続できなくなる。」

この矛盾。この衝撃こそが、弓削田を「NPO法人化」という次なる決断へと突き動かした。

「社会の財産」を守るための器(NPO)へ
「ありがとう」の連鎖が描く、未来への譜面

活動が止まりかねない危機の中で、手を差し伸べたのは、佐賀の非営利活動を支える先駆者たちだった。CSO推進機構の秋山翔太郎氏、そして当時、佐賀県庁で「ふるさと納税によるNPO支援」の仕組みを構築した芦田崇氏である。彼らは弓削田の歩みを振り返り、こう断言した。

「浪漫座のマスターや応援者たちがあなたを育てたように、今度はあなたが次の世代を育てる番です。でも、それを弓削田さん一人の自己犠牲で賄ってはいけない。もはや一個人の活動の域を完全に超えています。

どんなに崇高な理想も、それを実行する『器』がなければ維持できません。NPO法人を作るということは、誰もが参加できる「ありがとう」のプラットフォームを作ることです。あなたが受け取った愛を、より大きな形で社会へ還すために。一人で立ち向かうのではなく、みんなが関われる仕組みへと進化させましょう!」

この言葉に背中を押され、2019年8月、NPO法人MBFCが誕生した。

法人化という安定した器を得たことで、活動はさらに加速した。2019年12月には子どもミュージカル『しあわせになあれ』を成功させ、2020年から2023年のコロナ禍には、全国の合唱団や音楽教師の支援を行うためにハイクオリティな映像教材制作にも着手している。これらは今、多くの教育現場で活用され、子どもたちの豊かな学びを支えている。

現在の法人の理事や正会員の多くは、かつて『ツィンマーマンの夢コンサート』で共に汗を流した仲間たちだ。学生時代、浪漫座のマスターや柴田裕子氏、そして行政のパートナーたちから受けた多大なる恩。「あの時、自分たちを信じてくれた人たちの想いを、次は自分たちが子どもたちへ繋ぎたい」その決意が、今の彼らを突き動かしている。

一人のマスターと、そのもとに集った若者たち。

彼らが抱いた情熱は、いつしか関わる全員の「夢」となり、少しずつ、けれど確実に、音楽を、子どもたちを、そして世界を変え始めている。

この物語の舞台裏を支える「あなた」という新しい仲間を迎え、その歩みはより強く、より深く、世界へと広がっていく。

これまで支えてきたすべての方への感謝とともに。この「ありがとう」の灯火(ともしび)を、次なる世代の道を照らす道標(みちしるべ)として、これからも未来へと繋いでいく。